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第2話「やっと取ったぞ!1点だ」

バイキングスとの試合は、初回に30点を取られ、相手の監督大安寺監督(岩城力也)が
バイキングの恥だとしてコールドゲームを審判に宣言されてしまう。
落胆するビッキーズのメンバーであったが、トータスの「がっかりするなよ監督。次はきっと勝つよ」という言葉が出てきたのは、せめてもの救いであった。
再び、グラウンドで練習をするレッドビッキーズであったが、令子監督のノックが全くバットにあたらず、練習にならない。
そこへ、ふたたび練習を見ていた石黒正人(日吉としやす)。彼の前に転がったボールを、強烈返球を令子する。
それを見たオーナー(深江章喜)は、彼が元プロ野球の選手であったことを思い出し、令子もまた彼の名前を聞いたことがあった。
再び練習をはじめるが、血豆を作るもまったくノックの腕前が上がらない令子。
そこへモンキーズの野坂監督(畠山麦)が現れ、練習試合を申し込んできた。

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令子は過去の経験を買い、石黒にレッドビッキーズのコーチになって欲しいと頼む。
しかし「自分を野球と縁を切ったんだ。レッドビッキーズはひどすぎる」と言われてしまう。断って帰ろうとする石黒に令子は「弱虫!プロ野球のエースに成れなれず、卑屈になっているだけだ。要するにただの弱虫だ」と言われ、言い返せず立ちすくんでしまう。

次の日桜ヶ丘高校の野球部員3人にコーチ役を頼むが、ただのイジメのような練習に、堪忍袋の緒が切れた令子は、彼らを追い出す。
さらに家に戻ると、野川信一(増田康好)を連れて母親が来ていて「悪い遊びに誘わないで欲しい」と言い、ビッキーズを辞めさせてしまう。
そして高校の監督には、マネージャー業がおろそかになるから、レッドビッキーズの監督を辞めるか、野球部を辞めるかを迫られてしまう。
悪いことが続く令子であったが、名ばかりでただの雑用役に過ぎない野球部のマネージャーより、下手でも一生懸命な子供たちと野球を一緒に続けたい。レッドビッキーズこそが自分の青春だと思い、野球部を辞めることにする。

大山夏子が加わり、野川信一の抜けた穴を埋める形になったレッドビッキーズ。しかし、血豆をつぶしバットを強く握ることもままならない令子では、ノックができなかった。
そんな様子を車の中から見ていた石黒であったが、令子と目が合い、逃げるように車をバックさせグラウンドを後にしようとしたが、ぬかるみにはまり、動けなくなる。
そこへレッドビッキーズの子供たちが車を押して彼を助ける。
礼をいう石黒にカリカリは「今度は僕たちを助けて欲しい」とコーチになってくれるように頼み込む。
バッターボックスに担ぎ出された石黒は、久々のグラウンドの感触に惹かれるように、令子からバットを手に取り、ノックを始める。

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モンキーズとの練習試合、案の定相手に先制され、点差が開く一方のレッドビッキーズ。
そこへ、勉強を3倍してきたと言って駆けつけてきた野川をキャッチャーに据え、ナッツをショートに置く。
それでも点は開くばかりであったが、運はレッドビッキーズを救うかのように、偶然転んだところへボールがグラブに収まるなどのファインプレー?が出始める。
そして最終回、石黒コーチの「目をつぶってフルスイングをしろ」という指示を受けた島田(カリカリ)は、見事にランニングホームランを決めて1点をもぎ取るのであった。

・・・・というお話。

ま~役者が出揃う過程は、かなり唐突なもんだね~(笑)。まだこの頃は、ニックネームが付いていないので、少し不思議な感じがする。
モンキーズの野坂監督(畠山麦)を見て令子が、サルを想像したイメージシーンで演じたサルの物まねは、まさに間寛平のモチネタそのもの!!
そうか・・・間寛平は、ここからパクッたのか(爆)。

畠山氏は実はゴレンジャーの初代キレンジャー役で有名であったが、残念ながらレッドビッキーズが放送されていた1978年「特捜最前線」撮影中に自殺をしてしまう。去年34歳。

この人が生きていたら、間寛平はデビューできなかったかも知れない。。。ていうか、34歳に見えないんですけど~(笑)
リメイクされたらモンキーズの監督役は、間寛平で決定!だね。
Commented by ムネゾ− at 2005-10-30 01:15 x
俺の記憶が確かなら、畠山麦氏は「猿の惑星」にインスパイアされた、円谷プロ作品「猿の軍団」で敵役のチンパンジー将校でした。
案外、その当時の役作りの研究の成果なのかもしれませんね。
合掌。
Commented by salomon70 at 2005-10-30 01:58
ムネゾーさん

大変詳しい情報、ありがとうございます。過去を振り返ってみると、
色んなドラマや映画などに出演していても、どこかでつながっていて、
それを紐解いていく楽しみもありそうですね。
Commented by red at 2005-10-31 21:50 x
ネタにマジレスみたいになって恐縮ですが、間寛平は1978年当時だと
吉本新喜劇の「寛平ちゃん」として
大阪では知らない者がいないほど有名なタレントでしたよ。
当然、サルの物真似もビッキーズ放送以前からずっとやってました。
ていうか、サルの物真似って古典的な芸ですから誰が誰をパクった
というのはないと思うんです。
それにしても、畠山さんのサルはイメージぴったりで、令子監督でなくても
つい笑ってしまいますね。
Commented by salomon70 at 2005-11-01 00:23
redさん
そうだったんですか~。間寛平氏は、そんな昔から有名だったんですね。全然知りませんでした。
こんなブログを立ち上げておきながら、あまり昔の俳優さんや芸能人のことを知らないので、これからもたくさんのこと、教えてください。

畠山氏を見ると、どうしてもカレーライスのイメージが・・・・。昔そんなカレーのパッケージありませんでしたっけ?
戦隊物は、色んな食品のパッケージを飾ったりしていたので、今もし畠山氏の復刻版カレーみたいなのがあったら絶対買いますネ!
30代はみんな飛びつきそう・・・・
Commented by トモ at 2005-11-03 03:36 x
間寛平が全国区でブレイクしたのは、
昭和50年のレコード「ひらけチューリップ」からです。
当然この時(昭和53年)には、もう大阪だけでなく、
東京でも有名人でした。
Commented by salomon70 at 2005-11-03 16:57
人に歴史ありですね。間寛平は、さんまが取り上げて初めて知りました。
アメマグッズ?でしたっけ。大量の在庫を抱えたの(w)
by salomon70 | 2005-10-30 00:18 | がんばれ!のストーリー&感想 | Comments(6)

「がんばれ!&それゆけ!レッドビッキーズ」のブログ+ロケ地巡り。出演者の方のコメントもOK


by salomon70